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滋賀県出身の社会人による備忘録。

1人の高校生から—。

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 先日、東日本大震災復興支援財団活動報告会に参加しました。僕はそこで被災を経験された1人の高校3年生に出会いました。彼は来年度から東北電力に就職する、とお聞きました。当たり前に使えていた電気や水道、ガスなどのインフラが長い期間使えなかったことから、彼は「当たり前が当たり前でないことに気付いた」とスピーチで話していました。それが自分の中では、とても印象的でした。

 

   当事者としての辛い経験や、反対に幸せな経験は良いか悪いかは別として、人にその人らしさを生むのではないかと僕はスピーチを聞いていて感じました。彼のスピーチには熱がありました。就職という人生の一つの節目に魂のある選択をしていることに自分の心も震えました。

 

   辛いことも幸せなことも、その人にとっての非日常から生まれる感情だと思います。当事者として抱く感情というのはそれを経験したことのない人にとって、おそらく未知であると思います。自分はずっと滋賀県で生活をしていますがそうでない人も当たり前に存在します。自分は滋賀県に住まない生活は想像できても、やはり体感はしてないから本質的な楽しさとか、逆に辛さは理解できていないと思います。

 

   誰がどのタイミングでどんな経験をするか、これは未知です。アメフトで日本一になるのか、怪我・病気をして動けなくなるのか、実験に大失敗してしまうのか。今後、自分がどんな経験をするのか分からないですし、自分がどのような経験をした人と出会うかも分からないです。考え方が近い人は居たとしても全く同じ人は圧倒的に少ないと思います。が、せっかくそこで出会い会話をしたのならば、その人を理解するための姿勢を自分はもって生きたいです。どの答えが正解とか不正解とかではなく、自分は他者の意見に関係なくそう在りたいと思います。

 

   だからといって理解できる事ばかりではないかもしれないけど、そんな中でも自分の経験からくる考え方のみで他者を圧するのではなく、受け止め受け入れる。その上で自分の経験を元に意見する。それが自分の豊かさや多様性に繋がると思います。

 

   まず受け入れる。そして意見を述べる。自分の経験とか実績でまわりが見えなくなるような人にはなりたくないと感じました。自分がいつも素敵だと感じる方は謙虚で何か余裕のある方です。何より、自分の意見を理解しようとしてくれる人な気がします。全部は同じではないけれど共感できるところを探してくれているのかもしれません。

 

 この写真は月野亜佐子さんが撮った「松川浦の朝焼け」です。

 

 

 

 

ー草野吉耶