こだわりを捨てる。
よく思うことがある。
迷いがない人は、『かっこいいな』って。
堂々としていて、眼差しをすごく素敵に感じる。
自分が決めたことに対して、真っすぐな人。
この人と一緒にいたいなって、感じる。
去年、あるベンチャー企業にお世話になった。
今回はその時に話していた時のことを書こうと思う。
その時のことを、いつも自分に迷いがあれば思い出すようにしている。
それは
「こだわりを捨てる。」
ということ。
何のこだわりかというと、自分への在り方。
当時、自分がどういう自分で在りたいかを、プレゼンしたときに言われたことは
「もし親友が罪を犯しても、その在り方を貫けるのか?」
という質問。
自分の返答は
「貫けません。」
でした。
何が言いたいかというと、自分の在り方は自己中でいいということ。
自分の在り方に第三者への想いがあればあるほど、『ぶれるのは自分』であった。
綺麗事とか他者の観点を意識すればするほど、自分への在り方は本来の自分とかけ離れていく。
みんなが「いいね!」って言ってはくれるけど、そのみんなはずっと「いいね!」っていってくれるとは限らない。
想いを共感はできるがコントロールできない。
だから在り方に少しでも他者への想いが加われば、自分が何者かわからなくなると自分は思っている。
自分だって、昔と今では考え方とかそれなりに違うと思う。
でも価値観とかが全くの逆になったりは基本的にならない。
だいたい同じ方向だと思う。
ブームとかが典型だとは思うけど「人は変わる」は本質的かもしれない。
変化するものを基準にするのではなく、自分基準でいい。
モラルとかルールは守った上で、ありのままの自分でいることがその人らしさで、正解であるし、正解にするべき像であると自分は思う。
こだわりを捨てる。
綺麗事やなくて、本当に揺るがない部分を自分は大事にする。
草野吉耶