yoshiyanoblog

滋賀県出身の社会人による備忘録。

こだわりを捨てる。

f:id:kusanoyoshiyaa:20190221205834j:plain

よく思うことがある。

迷いがない人は、『かっこいいな』って。

堂々としていて、眼差しをすごく素敵に感じる。

自分が決めたことに対して、真っすぐな人。

この人と一緒にいたいなって、感じる。

去年、あるベンチャー企業にお世話になった。

今回はその時に話していた時のことを書こうと思う。

その時のことを、いつも自分に迷いがあれば思い出すようにしている。

それは

「こだわりを捨てる。」

ということ。

何のこだわりかというと、自分への在り方。

当時、自分がどういう自分で在りたいかを、プレゼンしたときに言われたことは

「もし親友が罪を犯しても、その在り方を貫けるのか?」

という質問。

自分の返答は

「貫けません。」

でした。

何が言いたいかというと、自分の在り方は自己中でいいということ。

自分の在り方に第三者への想いがあればあるほど、『ぶれるのは自分』であった

綺麗事とか他者の観点を意識すればするほど、自分への在り方は本来の自分とかけ離れていく。

みんなが「いいね!」って言ってはくれるけど、そのみんなはずっと「いいね!」っていってくれるとは限らない。

想いを共感はできるがコントロールできない。

だから在り方に少しでも他者への想いが加われば、自分が何者かわからなくなると自分は思っている。

自分だって、昔と今では考え方とかそれなりに違うと思う。

でも価値観とかが全くの逆になったりは基本的にならない。

だいたい同じ方向だと思う。

ブームとかが典型だとは思うけど「人は変わる」は本質的かもしれない。

変化するものを基準にするのではなく、自分基準でいい。

モラルとかルールは守った上で、ありのままの自分でいることがその人らしさで、正解であるし、正解にするべき像であると自分は思う。

こだわりを捨てる。
綺麗事やなくて、本当に揺るがない部分を自分は大事にする。

 

 

草野吉耶