yoshiyanoblog

滋賀県出身の社会人による備忘録。

海外の学生と「働く」を考える。

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日本の学生と社会人、そして日本語が話せる海外学生と「働く」について考える、そんな時間を過ごしました。

 

今回はそこで得た自分の気づきをまとめました。

 
・僕が参加したイベントの詳細↓

ptix.at

 

改めて、自分にとって「働く」とはどういうことかを自分に問いました。

 

自分にとって「働く」とは

【自分の価値観の元、人を笑顔にする・またはそれを守るために役割をもって行動すること】

だと考えています。

 

この考えに至った背景としては、一番身近にいる両親の姿や今までに出会ってきた社会人の方、そしてこのイベントに参加したからです。

 

【働くとは?】という題に対して、イベント内で皆が答えた定義はそれぞれで異なりました。

 

  • 働くとは、お金をもらうこと
  • 働くとは、任されること
  • 働くとは、夢を叶えるため
  • 働くとは、守るべきものを守るため
  • そもそも働いているという感覚はない

 

などなど。

 

全く同じ人はいませんでした。

 

40人いれば、40人違いました。

 

僕はこのイベントに参加して、今までにない新しい気づきを2つ得ました。

 
 
1.自分の置かれた環境や境遇を改めて認識できた
自分はたまたま日本の滋賀県という場所で草野家として生まれた、という事実。
海外の学生と対話することで改めて、自分を認識できました。
人によって「働く」に対する当たり前は異なっていました。
国が違えば、バックグランドも日本人とは大きく異なります。
そうなると当たり前はもっと違いました。
その当たり前に良い悪いなどの正解はないわけですが、他国の観点が自分の環境や境遇の良いところや悪いところを教えてくれました。
僕は改めて、自身を違う観点からとらえることで自分を認識しました。
 


2.対面し、まず知り繋がることの大切さ

海外学生との交流時、僕は何か彼ら(彼女ら)に対し偏見をもっている自分を感じました。

その偏見は勝手な相手国のイメージ像です。

出会った方をその国の一人として対話するのではなく、人として対話することが先にくると、僕は考えました。

そして後から、国としての違いを知っていきます。

順序が大事だと考えるようになりました。

目の前の人と、まず向き合い理解することから始めることが相手に対する本質的な敬意だと思います。

 


今までも海外に行ったことがあるものの、何故このような気づきを得れなかったのかを僕は考えました。それは海外の方と「働く」について対話した経験が無かったからです。どちらかというと観光や文化に触れることが多かったです。人生の半分以上の時間を注ぐ「働く」に関する対話だからこそ、自分の環境や境遇の違いに着目できたと思います。

 

今一度、皆さんも海外学生と「働く」についてお話してはいかがでしょうか??

 

 

草野吉耶