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滋賀県出身の社会人による備忘録。

自己肯定感という言葉の一人歩き。

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以前、高垣忠一郎先生とお会いする機会がありました。
 
先生は「自己肯定感」という言葉の生みの親である方です。
 
「自己肯定感、上げていこう」
 
たまに耳にするフレーズです。
 
僕は自己肯定感の具体的な意味は知りません。
 
抽象的な理解です。
 
前向きな言葉なんだろうな、そんな風に聞いていました。
 
今回、自己肯定感の意味を先生の観点から教えて頂いたので、思考の整理のためにもまとめることにしました。
 
先生は自己肯定感について以下のように仰っていました。
 
自己肯定感とは高めるものではなく、ふくらませるものである。
 
『荒波の流れを乗り越えるために浮かばせる浮き袋』である。
 
「ふくらませる」という表現が自分の中では、新鮮でした。
 
人間はそれぞれ凸凹しています。
 
凸凹というのは良いところもあれば、当たり前に何か劣る点もあるということです。
 
一長一短、いいところもあれば情けないなと感じてしまう面もあります。
 
そんな時に、人は自分の負い目を感じる点には触れずに、隠そうとする。
 
自分自身にそのような態度をとるのではなく、等身大の自分をまるごと受け止めることが大切であると、先生は話されていました。
 
少なからず自分も好きではない自分がいて、そんな自分を表に出さずに抑え込んでいるかもしれないです。
 
でもなんでかって考えたら、やっぱりかっこよく在りたいとか、第三者の目線を気にしていたりする部分もあるのかなと思います。
 
 
○○らしく。
高校生らしく、兄らしく、女らしく。
 
多くの場合は、その「○○らしく」に対して自分のイメージや観念があり、それに合わせていると、先生。
 
例えば「男らしく」という言葉のイメージは、何か逞しい、又は強いイメージです。
 
自分は男なので無意識にそのイメージに従って生きている面もあるかもしれません。
 
ここでポイントなのが、何故そのイメージに沿って生きているかということです。
 
その理由は「らく」だからです。
 
皆と同じであれば、非難されることも少ないからです。
 
先生は「○○らしく」のような型に自分を当てはめてしまうことで、個性がなくなると仰っていました。
 
型に当てはめてしまうことで、自分の可能性を狭めてしまうことになるからです。
 
「自分らしく」のような積極的な表現もあるが、より良い表現で「自分を生きる」というのが自己肯定感の本質的な表現である、と教えて頂きました。
 
 
 まとめ・感想
自己肯定感の定義が自分の中であいまいであったので、先生と出会えてすごく光栄な思いです。
 
本当に大事な点は、いつだって主人公は自分であるという前提のもと、取捨選択を自分の意思で行い「自分を生きる」ということだと考えました。
 
かっこいい自分を評価するのではなくて、ダサい自分もまるごとを認め、身も心も大きくしていく、それが自己肯定感だと。
 
「自分は自分で大丈夫」と、思い一歩踏み出せる状態が自己肯定感であると僕は感じました。
 
「自分を生きる」とは、自分の意志で自分の道を決断することだと、私は思います。
 
まさに自由という言葉と、僕の認識としては似ています。
 
自由に生きる過程で、今の自分が感じることができる心の喜怒哀楽を、僕は大切にしたいです。
 
そして大きな自己肯定感の元、自分を生きていきたいです。
 
 
 
 
 
—草野吉耶