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滋賀県出身の社会人による備忘録。

誰だって誰かのヒーロー。

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誰だって誰かのヒーロー。
 
誰だってヒーローになる。
 
と僕はそう思う。
 
自分の背中が必ず誰かの背中を後押ししている。
 
自分も誰かに勇気をもらい、また勇気をもたらしている存在なんだ。
 
その後姿を見ることで「自分も頑張ろう」と、そう思えるのではないだろうか。
 
そして何気ない日々を様々な人に支えられている。
 
僕は卒業を機に友人からメッセージをもらった。
 
そこには「自分を奮い立たせてくれる存在」というコメントが添えられていた。
 
とても嬉しかった。
 
僕にも友人と同じように「自分を奮い立たせてくれる」、A君という人物がいる。
 
A君の姿は今でも、僕が突き進むひとつの原動力になっている。
 
自分にとって、大切な存在だ。
 
みんなが勇気といったポジティブな影響を与えているし、受けていることを改めて認識できた瞬間でもあった。
 
良い悪いなどはないが、そういったことを含めて影響を及ぼしあっていることは事実だろう。
 
ささいな行動や言動にも、そういったものはある。
 
時には自分が起こす行動が誰かの背中を後押ししていたりする。
 
そんな瞬間があってもいいな、と僕は思う。
 
 
草野吉耶

意思決定していること。

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何に時間を割くか。

 
時間は限りなく続くように見えて有限であり、その中で自分ができることは限られている。
 
一日単位に考えても同じで、一日にできることにも限りがある。
 
僕は毎日、意思決定をし続けている。
 
朝起きてから夜寝るまで。
 
カーテンを開ける、歯を磨く、着替える、ご飯を食べる、仕事する、友達と話す、夜遅くまで過ごす、本を読む、動画を見る、自己研鑽、筋トレ、悩み葛藤、日記などなど。
 
探求したいことがもし自分の中にあるなら、時間を割きたいことは何だろうか。
 
優先順位を考える。
 
1日は24時間ある。
 
例えば10回しか1日に意思決定できないとしたら、もう少し工夫しないだろうか。
 
もちろん自分の感性の赴くままに、ゆっくりと過ごすことも大切であると僕は思う。
 
両立することはできないだろうか。
 
意思決定はひとそれぞれでは異なるが、翌々考えると意図をもってやっていることがほとんどではないだろうか。
 
右に行くのか、はたまた左へ行くのか。
 
「何故なら、、、だからだ。」
 
その積み重ねが今の現状であったりするし、将来の自分が何処にいるかも変わってくる。
 
自分はどのように暮らしていきたいのか、そのためにできることは何か。
 
何かルーティンを作ってもいいかもしれない。
 
習慣ともいうべきか。
 
自分ができる工夫を少し考えてみよう。
 
どうありたいのか、本当に行きたい場所があるのなら。
 
 
草野吉耶

自然と私たち。

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春に行った旅のお話。
 
3月は沖縄本島をはじめとする周辺の島々に行っていた☀︎
 
旅のきっかけは昨年6月に開催された「はたらくダイアログ」にてお会いした東北大学名誉教授の石田秀樹先生。
 

講演にて紹介された、人間活動の肥大化による環境問題(海洋プラスチック・生物多様性・気候変動悪化など)の数々。

 
想像をはるかに超える事実に、衝撃を受けたことを今でも覚えている。
 
当時は、自分事として事態を認識できない「本当に起こっているのか?」といった心境であった。
 
だから、すぐに何か行動に起こすことはなかった。
 
しかしこの日を境に「豊かな暮らしとは何か」を今まで以上に考えることとなり、そのヒントを得るため石田先生の研究拠点である沖永良部島へ行くことを決めた。
 
石田先生が提唱されている、自然のもつすごい機能や能力に着目した「ネイチャーテクノロジー」という概念。
 
それは自然にもともとある完璧な循環のしくみを科学的な視点で解析し、人間生活に応用できそうなものを転用することで地球への負荷の小さい、新しいものづくりやライフスタイルを提案しようとするものである。
 
環境問題等の制約に対して自然のもつ技術を転用し、おしゃれに且つワクワクしながら乗り越えていく。
 
石田先生に教えていただいた、バックキャスト思考に則ったネイチャーテクノロジーによるライフスタイルを僕はとても魅力に感じる。
 
近い将来、紹介していただいた危機迫る地球環境を多くの人々が受け入れなければならないことは、おそらく間違いないのではないだろうか。
 
そんな先の将来のことを考えてどうする。
 
どちらかというと「今」を大切にしたい僕はそう考えることもあった。
 
しかしながら、もしその瞬間が来た時に現時点ではあるが僕ができることは我慢しかないかもしれない。
 
そんな僕を僕は寂しく思うから、将来のことも考えたい。
 
あらゆる制約条件を受け入れた上で持続可能な社会とは、心豊かな暮らしとは何かという難題。
 
今回の旅では、改めて気づいたことがあった。
 
それは自然がもたらす私たちへの多大なる影響だ。
 
私たちの土台にある「自然」と「人」はとても強い繋がりをその間で生んでいることを、肌で感じた。
 
自然があるからこそ「人」と「人」の繋がりが生まれ、それがコミュニティとなっている。
 
日本独自の暮らしの形である自然との共生、又は調和。
 
それに伴う全ての営みが自然から派生したものであり、私たちの豊かさを育んでいるのではないかと感じた。
 
そうすると大切にしたいものが、自ずと分かってくる。
 

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思い返してみると、イオンモールに売っているものもいいが、繋がりのある方からいただいたものの方がハッピーな気持ちになる。
 
あくまでも主観でしかないが、そういうものなのではないだろうか。
 
何も田舎暮らしが良いと考えているのではなく、新しい技術も取り入れながら(ネイチャーテクノロジーもそのひとつ)大事なものを見失わないように生きていきたい。
 
繋がっていること、縁。
 
そんな気づきを得れた旅となった。
 
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。
 
「私はこう思う」などご意見をお持ちの方、是非コメント等、お待ちしております。
 
 
草野吉耶

インプット・アウトプット

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昨年「はたらくダイアログ」にてお会いした東北大学名誉教授の石田秀樹先生にご紹介された脳の3層構造について。
 
 
人間には本能・情動・知性と3つの機能があるらしく、情動と知性をつかさどる階層でのアウトプット・インプットが達成感や充実感などの豊かさを育むというお話であった。
 
例えば、木登りをするときに目で木の位置を確認し(インプット)、実際に足を掛けて(アウトプット)試行錯誤しながら登っていく。
 
そのような営みだ。
 
私事ではあるが幼稚園の頃にスポーツや木登り、虫取り、砂団子づくり、工作、山登り、ゲーム等をしていたことはかなり具体的、且つポジティブな記憶として残っている。
 
その中でも、五感をフル回転に過ごす時間は人間にとって、重要ではないかなと僕は分析している。
 
何故なら、感じ方の幅が圧倒的に広いと考えるからだ。
 
自分自身も決して都会とまではいかない街に長年住み、限られた自然の中で過ごしてきた。
 
改めて思い返すと、やはり五感をたくさん使った時間が印象に残っているし、インプットとアウトプットを繰り返す中で多くのことを知恵として学んだ。
 
そのインプットとアウトプットのキャッチボールができるのが多くの場合、自然であったりする。
 
ここ数十年での時代の流れを見ても、あくまでも自分の主観ではあるが、開発が進むことで自然が失われたり、遊びが電子機器を介していたりと、限られた感性の中にキャッチボールが留まっている気がする。
 
僕はその事実を少し寂しく感じる。
 
何でも既存のサービスや機械に依存するのではなく、自然の中や身の回りの環境の中で手を動かし工夫することで豊かさを感じれるし、いろんなことを教えてくれたりする。
 
そんな時間を過ごしていきたいし、後世にも残していきたい。
 

参考資料swingroot.com

 

 

草野吉耶

アイランドホッピングの旅。

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3月は沖縄本島を周辺とする島々(沖縄、久米島与論島沖永良部島奄美大島、喜界島)をめぐる旅をしていました。
 
旅を通した人との出会いや別れ。
 
そして自然を目の前にした感動や発見。
 
温かく美しく、自分の常識を覆す瞬間が数多くありました。
 
目の前にある景色に至った背景に想いを馳せながら、伸び伸びと過ごす時間はとっても有意義でした。
 
それぞれの人がそれぞれの想いのもと暮らし生きる姿を見て、改めて僕自身も何を大切にして生きていくかを考えなおしたいです。
 
島の暮らしを支えている大自然
 
大きく、力強く、そして逞しく偉大でした。
 
この大自然が土台としてあり、僕たちは恩恵を受けながら生きていること。
 
決して忘れてはならない。
 
今となっては日常から感じずらい面もありますが、心から感謝です。
 
 
草野吉耶

じっくりとあること。

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自分と向き合ってくれる人が傍に居てくれることが、どれだけ尊いことなんだろうか。

 

自分の場合、その存在がお祖父ちゃんだったり、山田さんだったりした。

 

対等な対話をじっくり行うことで、初めて自分との対話も生まれてた。

 

お祖父ちゃんが小さい頃の僕にじっくりと時間を割いてくれていたことを思い出して、今では本当に有難いと感謝している。

 

でも二人は決して、僕に何か知見を教えたりすることは無かった。

 

ただ単に、僕が頭で内省した言葉を待っていただけだった。

 

でもその瞬間は本当に貴重な時間であった。

 

そして、その時間が自分との対話を生み『何故なんだろう?』と問うことを頑張れた。

 

その時の、二人のまなざしを今でも覚えている。

 

怖かったけど、なにか優しい顔をしていたと思う。

 

答えは自分の中にある。

 

二人はそれを教えてくれてた。

 

自分で考えて、気づくこと。

 

それがまるごとの自分を生きることに繋がる一歩だと思う。

 

僕は今の効率を求めるすぎる社会に疑問を感じる。

 

もっとじっくり在りたいし、その中で育まれるものを大切にできる世界を皆んなと創りたいんだ。

 

 

草野吉耶

地元を知ること。

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『地元の人が地元のことを知らない』

 

今の自分を突き動かすきっかけとなった言葉。

 

この言葉を聞いた時、僕にとって大きなアイデンティティである地元『滋賀』は一体何だろう、と考えるようになった。

 

この時、初めて自分が滋賀のことを知らないことに、気がついた。

 

滋賀はどんな場所なのか、どんな文化があるのか、どんな人がどんな想いで生きているのか、今どんな課題があるのか。

 

気付けば現場に足を運び触れ合い、同じ時間を過ごしていた。

 

この想いを抱いてから、地元で生きる人との交流は幼少期を思い出すくらい新鮮だった。

 

こんな背景があるのか、こんな繋がりがあるのか、こんな知恵があるのか。

 

新しい発見が小さなことでも本当に面白い。

 

それらの過程で、地元『滋賀』は僕に自分と世界が繋がっていることを改めて教えてくれた。

 

それは人や文化、技術、思想、経済、政治などの歴史的な側面の繋がりだった。

 

だから僕は人生で初めて、歴史に純粋な好奇心で接し、ある種一人の当事者意識も持ちながら学ぶようになった。

 

その時間がなんだか楽しかった。

 

そして僕の好奇心は地元から日本、日本から世界へと大きく広がっていた。

 

今年はアジアをまわり、いろんな境遇の人と出会い対話し、その国の歴史や背景を知った。

 

それらの国と地元は気づかなくても何処かで繋がりがあり、我々の何気無い生活に溶け込んでいることを実感するようになっていた。

 

過去を生きてきた先人達の礎があり、今自分が存在していることが有難くて、心から尊く思います。

 

歴史と現在を知る中で込み上げてくる、社会に対して抱く疑問や違和感。

 

そして将来、実現したい世界観。

 

そのギャップを埋めるために今、色んな方から学ばせていただいています。

 

今ここにいる自分に何ができるのか?

 

常に自分と向き合い、時には立ち止まりながら、行動に移し、挑戦していく。

 

そんな営みを繰り返していきます。

 

 

 

ー草野吉耶